Path of MistyWind

紅茶とゲームが大好きな関西のエンジニアのひとりごと

もう一度会いたい人

こんばんわ(´・ω・`)ノ テスト返しまでの休みの日でのんびりしてました、きりふです!

トラックバックステーションって 覗いていると、色々書きたいネタ出てくるんですよねぇ…。

今回は【もう一度会いたい人】ということで。

親が転勤族で昔はよく引越ししていました。 5回かな? 今こそ家買って、永住になりましたが… 関西も関東も転々としました。

もう全く会わなくなった人なんて、正直いっぱいいます。 人間の無情さも知っています。 引越しするコトになると誰もが惜しがる。 でも一ヶ月経つか、経たないかで 連絡なんか全然来なくなる。 そう、まるでそこに存在していたコトさえも、消えてしまうように。

引越しとはメンドイものでしたが、 今思えば、私はそれに助けられていたのかもしれません。 …過去を捨てられる。 「以前の私」を知らない人ばっかりなのだから。

とは言っても、性格が変わるわけでも無いので。 ポジション的にはいつも同じ所でした。 …いや、それがあっているのかもしれない。 いい顔を作ってまで、皆と仲良くなろうと思わないから。 なじむのはニガテやし、 意見をあわせるのもニガテだ。

ぁあ、銀河ちゃんのトコロの「武器占い」の結果

やっぱり当たってるwww

こう言うと”ものすっごい”自慢に聞こえそうで ためらってしまうのですが…。 「能力だけをアテにして」近付いてくるような人も いっぱいいました。 いや、いっぱいいます。

例えば 文化祭みたいな時に絵を描くのもそうですし、 何か文章書いてって時もそうですし。

たぶん能力が「高い」「低い」どうのこうのよりも めんどうな仕事の「丁度良い処理場」だったんやと思います。 …普段は見向きどころか、嘲笑さえするのに。

いわゆる「人間不信」でした。 まぁ、なじまない私が悪いのはわかっているんですけど…。 「話しかける苦手」は努力次第で直るかもしれないのにね。

一つ言っておきたいのは 友達だと思ってる人は、心からそう思ってるってコトです。 繰り返しになりますが、 いい顔してまで仲良くできない人なので。 イヤだとこっちから離れます。 少ないながらも「友達」と呼べる人、本当に感謝しております(>_<) ここは量じゃない、と自分に言い聞かせておきます。

…だから 引越しを繰り返してもなお、交流が途切れていない 「友達」に会いたい。

途切れないから真に友達なんだと思う。

昔からズレた人間でした。 一匹狼に近い所もありました。 性格の問題ももちろんあったし、 引越しの繰り返しで一人になるのが平気、 …いや、「楽」でした。 誰にも干渉せず、干渉されず。

そんな私でも、 その場所から存在が無くなっても、 友達として「存在」を認めてくれた人。 忘れずにいてくれた人。

だから会いたい。

関東やと、 修学旅行の行き先が「関西」とはよくあるコトみたいで。 中3の時に一度だけ会った。 それっきりだな…。

実はかなり話がズレましたw 本当は違う人を【もう一度会いたい人】として 書くつもりが…。

それは「おじいちゃん」ですね。

母方の、おじいちゃん。 私が小6…の時だったかに亡くなった。

その頃はまだ関東に住んでいました。 中学になる時に関西に戻るコトとなるのですが…。 少し遅かったな。

危篤の時も立ち会えず 死が決まってから、新幹線で向かうことになったのを 今でも覚えています。

小さい頃の私の記憶の中では、 おじいちゃんは「一緒に本を買いに行く人」でした。 小生意気なガキがwwwww 正直「本を買ってもらえる」という意識でついていってた、あの時w

本が好きな人だったみたいです。 読むのも書くのも。 ワープロに向かっていたのもよく覚えてる。 今でも、母の実家には 「おじいちゃんの書いた本」がたくさん残ってる。

「私」が出てくる本もありました。

母に言わせると、昔はかなり恐い人だったらしいのですが 孫が生まれて円くなった、とw

弟が生まれる時、難産だったらしい。 その時期に丁度父が海外へ長期出張だった。 2歳の私は母の実家に預けられるコトとなった。

だから、余計によく印象に残ってるんでしょうねw 弟の方は、生まれてから関東に行くコトになったので 一年に1回会えるか会えないかだったし、 いつのまにか大きくなってた感じだったのかも。

「賢い」って言ってたとか…。本でも…。 こんなバカになってしまってごめんなさい(;´д`)

でも、磁石で遊んでた私が 文章打って保存したフロッピーをダメにしたり、 保存する前にワープロの電源切ってしまったり、 すごい伝説も残ってるんですけどねwww

昔からスゴイ奴だったんだwある意味wwwww

本だけでなく、文化的方面の人だったみたいです。

デザインの何かやってたから、セット残ってるとか、 母の話で モノ買うのはなかなか許してもらえなかったのに、 ギターはあっさり新品を買ってくれたとか。

何の資格だったかな… 会社で一人しか持ってなかったから、 高卒でも随分重用されたとか。

まぁ高卒は、 時代が許してくれなかったんやと思います。 今みたいに、奨学金とかあったら大学までいけたかも。

でもそこがまた非情ですよね。 昔は「大学さえ出てたら」給料よかったわけで。 出てないと、どれだけ使われても…。 だから、余計に「能力を使うだけの人間」は嫌いだ。

私はもっぱら「絵描き」ですが 友達が文章を書いたのをみて、 音楽が好きになったのもあって、 たまに「歌詞」のような文書くようになったし。 こうやってブログの文章も書いてるし。

絵も文も音楽もひかれるのは 血が混ざってるからもあるのかな、なんて。

自分がするようになると、 すごさがわかってくるんですよね。 だから、もっと話してみたかったかも…。

あの頃はまだガキんちょだったから 「本を一緒に買いに行く人」だったけど、 今話せたなら、 文とか絵とか…たくさん聞いてたと思う。

あと、ブログについて教えてあげたかったですねw ワープロで文章打つぐらいなんやから、ブログも…。 かたいサイトになりそやけど…www

昔から、入院を繰り返していて 孫ができるまで生きていたのも不思議なぐらいの 体の弱い方だったみたいです。 …おばあちゃん、看護婦さんやしw

それでも、私のいた間は 元気な姿しか知らないので想像つきません。

ある日コタツで横になったきり、目が覚めなくなり 病院で眠り続けること数ヶ月… 亡くなってしまいました。

横になる前、何処か死を認識したような言葉を言ったとも、 おばあちゃんに聞きましたが。

平均寿命よりすごく早かったのですが ボケもせず、本当に眠ったように カタイおじいちゃんらしい亡くなり方だった、と。

私の中には、 本当に優しくて真面目なおじいちゃんの記憶しか 残っていません。

今答えるなら、 「尊敬する人」にあげられるかもしれない。 私も文化的な方面で頑張っていきたいと思っているし。

…今日もなが~い文章になっちゃったw 悪い部分も、良い部分も 色々暴露するような、文章でしたヽ(´ー`)ノ

とりとめないけどw