Path of MistyWind

紅茶とゲームが大好きな関西のエンジニアのひとりごと

歴史を学ばずには平和を語れないvol.2

こんばんわ( ・ω・)ノ 模試も終わって寝まくってたきりふです! 「模試が終わったので」って理由付けはしてますが、 まぁいつものことです(´д`)

さてさて、本日は模試の反省会…の予定でしたが、 急遽変更! 論文を書こう。そうだ論文を書こう。

つまんねぇな…とは思わないで下さい。 私自身あんま小難しいのは書けないのでw わかりやすいはずですwww 私も出来る限り意思を伝えるように頑張るので(゜Д゜)

【歴史を学ばずには平和を語れない】ってコトで! vol.1は銀河ちゃんのブログ に。 それのトラックバックだから、これはvol.2。

【sect.1 日本史から】 銀河ちゃんと逆で、私は「日本史」専攻でございます。 「日本史」っていうと「世界史」より 視野が狭いと思うかもしれません。 確かに「日本」という国を中心として勉強していくワケですが。

しかし、当たり前ですが周りの国との関わりがあります。 つまり「日本史」だからといって必ずしも 「日本」だけのコトをするわけでない。 視点の中心がそこにある…ただそれだけの違いだと思います。

どういう経路で現在の日本が成立したのか。

今となっては「平和ボケ」と言われる日本ですが、 その道のりには「過ち」も沢山はらんでたわけで。 「自」を知らなくして「他」を語れない。 それが私の考えです。

世界平和を謳うにはまずそれなりの環境が必要だと思うんです。 だって、自分の身が危なかったら、 他人まで気が回らないじゃないですか。 「生き残りたい」というのは人間の本能です。 殺されそうだったら殺すかもしれない。

だからこそ「平和ボケ」と言われてる日本は 環境的に恵まれています。 私達のように「平和」について深く考えられる。

そしてこの「平和ボケ」がどうして出来上がったのか? 「急に生まれたモノではない」ってのは誰にでもわかるはずです。 …その過程を知らなくては。

【sect.2 民族とは】 今世界では「民族紛争」というのが各地で起こっています。 それは「民族」の違いから。 一見日本人には考えにくい理由ではないでしょうか。

皆さん、日本を「単一民族国家」だと思っていませんか?

それは間違っています。日本は多民族国家です。

北海道は昔「蝦夷」と呼ばれ、アイヌ民族の大陸でした。 沖縄は「琉球王国」として長い間王様が統治していました。 それが次第に本州の大名に独占されたり、 廃藩置県方面の政策で同化されてきたりしたわけなのです。 (曖昧な表現ですまん;歴史用語はあってる自信がない…)

元は別々の国だったんです。

もっともっとさかのぼれば、 人類がこの「日本大陸」に移動してきた時。 そう、まだユーラシア大陸とつながってきた時。 モンゴル系、ロシア系、東南アジア系…と さまざまな方面から移民してきてるのです。 そう考えれば日本は、生まれた時から多民族国家なわけで。

要は「どこから定義するか」ただそれだけなんですよね。

「早期の同化政策」が あたかも「元々単一民族」だったかのように定着している。 しかし、反発がなかったわけでもない。 アイヌで代表すれば 「シャクシャインの戦い」「コシャマインの戦い」。 昔だからこそ「乱」でおさまってますが、 元を辿れば「民族紛争」と同じ理由をはらんでると思う。 日本も同じ道を辿ってきてるのです。

それなのに 「単一民族国家だからわからない」 で片付けるのはつまらないと思いませんか?

【sect.3 定義とは】 そもそも「民族」というモノが曖昧だと思いませんか?

肌の色で、使う言語で、信仰してる宗教で… 住んでいる所で、性別で、地位で… 現代に近づくほど、多くの「名札」が貼られていき、 細かく分けたがっている気がする。 …生活が複雑になったから?

「同じ」だと定義して集まるとはどういうものなのだろう。 あんたらはマツゲの本数も、足の大きさも一緒なのかと。 あれも違う、これも違う…と突き詰めていけば 結局みんな「違う」だと気付くはずなのだ。

利便上かためて名前を付けるのはわかる。 しかし、それが差別の「明確な理由」となりえるのだろうか? これほど曖昧な理由は無いだろう。

付けられ過ぎた「名札」を元のように還元していけば、 今度はみんな「同じ」だと気が付くはずだ。 だってサルですよ?人類。 もっと還元すれば 人間が嫌ってる「インフルエンザ菌」だって一緒ですよw

「みんな違う」で「みんな同じ」。 一見矛盾を感じるこの二つも、こう考えると納得できませんか? どれだけ定義とは曖昧なのか。

【sect.4 定義とは2】 「民族紛争」と「差別」は同じモノをはらんでると思う。 二つの集団があって、 互いの力がぶつかりあえば「紛争」。 一方的に圧力をかけてれば「差別」。

どちらにも共通するのは定義の違いに翻弄されているコトです。 人間はどうも分けたがる。 「民族」が同じになれば 今度はまた違う「定義」をつけて分けたがる。

それは民衆レベルにまで浸透している。 …例えば私も。 あまり移動してくるような人がいない地域に引越しして、 「外者」と扱われてきたコトがある。 「民族」は一緒ですよ? でも「住んでいた地域が違ったから」ただそれだけで。

だから身をもってつまらないと感じるんですよね、定義。

じゃあもしも、 映画のようにどこかの星から異性人が襲来してきたら、 「地球人」として私達は一つになれるのだろうか。 …そうなんですよ。 「地球」という枠組みは一緒なんです。 実際そんなコトが起こってからやっと気付くのは遅い。 少し頭冷やして考えてみてください。

定義がどれだけ理由無きものなのか。 「無いこと」が答えってもんもあるんです。 科学主義に歩んでいる現代は答えを求めすぎる。

【sect.5 平等とは】 じゃあ何が「平等」なのだろう? これは難しい。 全く同じモノを全ての人に与えても、「平等」とは言い難い。 それぞれには境遇があり、環境があり、感じ方がある。

例えば「社会主義」は、 ”全ての人に「平等な利益」を与える”と言うが、 一生懸命働いている人も、 普通に働いている人も、 サボってる人も、 利益が同じだと思えば不公平だと思いませんか?

「資本主義」だってそうです。 自由な競争とは言いますが、 利益の増幅に集中しすぎれば損する者も絶対出てくる。 どこが平等なのだろう?

「今日から世界中に一人一枚コートが支給されます。」 寒いトコロの人達は喜ぶだろうけど、 暑いトコロの人は「それより水くれ」と思うかも。

だからこそ「平等」を追求するのは難しい。 でも追求が出来ないわけではない。

一つ言えるのは「柔軟性」が必要だというコトだ。 「あーすればこれは絶対平等」 そんな条件どこにもないんです。 環境なんて時間と共に変わるモノでもありますし。

…漢文で以前こういう文読みました。 その地域には大きな川があって、 溺れ死ぬ民衆が沢山いた。 ある日優秀な王様が、 その川に看板をたてて、「ここから先は川」という目印をつけた。 そして、溺れ死ぬ民衆はいなくなった。 王様は死んでしまって、長い年月がたった。 新しい王様は昔優秀だったと聞いた王様の真似をして、 「川の看板」をそのまま引き継いだ。 しかし、川の水は昔より増していて、 目印は意味がなくなっていた。 再び溺れ死ぬものが増えた。 …よくわからん文章やけど、こんな感じのw

それ故、人類はずっとずっと 「平等の追求」に追随していく必要があると思う。 その時々ごとに移り変わっていける柔軟性。 今の状況に満足し過ぎてはいけない。 …満足するコトは悪くない。むしろ良いからw

だからこう考えます。 「平等」を言葉にしてみるならば、 ”みながみな「平等」を追随していける世界” 誰にも邪魔されずに。 そうすれば「差別」や「紛争」というものは 「誰かに邪魔されている」わけだから、 しっくりくるし。この言葉。

【sect.6 これから】 善や悪なんて決め付けられないコトのが多い。 優劣なんて何で決まるのか。 生物で「優性」と「劣性」ってあるけれど、 「種の優劣とは関係ない」ってしっかり書いています。 これは何処にでもあてはまると思います。 二つの円が関係すれば何処にでも。

「私は優れていてあの人は劣っている」 そういう思い込みが結局 「差別」になったり「いじめ」になったり。 大多数の総意になれば「戦争」になったりする。

日本もそうしてきました。朝鮮の人達や中国の人達に。 自分たちは優れているのだと言って。 西洋人の一員なのだと言って。 つまり、「日本人」自身も「西洋」に劣等感を持っていた。 …そういう思い込みの連鎖が「過ち」になっていく。

自分を「優」と思うも「劣」と思うもダメなんだ。

そして今日本は「平和ボケ」と言われている。 それはいいコトなのかどうか。 前述にもしたとおり、 「平和」を考えられる環境が出来たのはとてもいいコトだ。 でもその時間をただ嘆くのに使ったり、何も考えなかったり、 それは無駄。

…考えなくては。 考える為には知識を得なければ。 だからこそ、辿ってきた道を振り返らなければ。 そうすれば、自然と「悲しみ」の意思は込み上げてくるはず。

わざわざ「悲しみ」の部分だけを取り出す必要はないのだ。 その点で嘆くのみの映画は微妙だ。 過程があって結果があるように、結果だけ見せても意味は無い。

…ただ一つ映画で意味をなすと思うのは、 「身近に感じ、考えるキッカケになるかもしれない」というコトだ。 それ故見る人の心に委ねられている。

「平和ボケ」の日本だからこそ 「平和」を引っ張っていく大きなキッカケになるだろう。 現在経済を引っ張る国の一つとして歩んでいるが、 こういうリードにも目を向けるべきだと思う。 自国が「戦争」しなくなったから終わり、「平和」だから終わり、 じゃなくて。 そのぼけぼけ~を世界中に広めてみましょうよw

それに、 元々は中国の儒教からきていると思いますが、 「完全に善と悪なんて分けられるモノはない」 って文化も持っているんだし。 戦争を食い止める「大きな力」になるんじゃないでしょうか? 戦争は思い込みから始まるのですから。

こう考えると私達もこれから自覚していかないとなwww 日本人として、地球人として。

…長くなりました(⊃д⊂) まとまってるのかどうかわからん文章だw そして、相変わらず変わった文章…? マツゲの本数とか…w

とりあえず、書きたいことは書いた! 所要時間…3時間ぐらい使ってる…。